第10回 憧れの地中海・エーゲ海クルーズ5か国周遊15日間の旅(第1回)

 今回は昨年(2015年)6月に参加した「憧れの地中海・エーゲ海クルーズ5か国周遊15日間の旅」をご紹介しましょう。往復の飛行機は、ルフトハンザドイツ航空ビジネスクラス、船はアイランドプリンセス号92,627トン、2003年初就航、乗客数1,974名の豪華クルーズ船です。

 第1回は、今回のクルーズのきっかけとなった38年前の新婚旅行の「エーゲ海クルーズとアテネ9日間の旅」のお話をしましょう。

 我々夫婦は、1979年にエーゲ海に浮かぶロードス島のフィレリモス教会(ギリシャ正教)で二人だけの結婚式を挙げました。以前はフィレリモス教会で式を挙げることができましたが、近年は宗教上の理由により、正教徒以外の方が教会で式をあげることが困難になっています。

 挙式後、ロードス島の市庁舎で市長より結婚証明書を頂きました。市長からは、今度はお子さまを連れて、またロードス島に来てくださいと言われました。子供はできなかったのですが、もう一度エーゲ海を訪れたいということで、38年ぶりの今回の旅行になりました。

 ロードス島は、北東―南西に長い菱型の島で、長さは約80km、幅は最大約34km。面積は約1,400km²。ロードス島はアテネとキプロス島のほぼ中間にあたっており、ロドスの街は首都アテネから南東へ約433km、キプロス島のニコシアから西北西へ約485kmの距離にあります。ロドスの街は、島の東北端に位置しており、島の人口約13万人のうち内6万人あまりがロドスの街の周辺で生活しています。

ロードス市市長より頂いた結婚証明書
ロードス市市長より頂いた結婚証明書

 先ず、我々夫婦はなぜエーゲ海で結婚式を挙げたかというと、当時ジュディオングという歌手の「魅せられて」という歌が大ヒットし、我々も新婚旅行はエーゲ海にしたい、願わくば挙式もエーゲ海の何れかの島の教会でできたらいいな~と思いました。JTBの一般のツアーに参加し、アテネに着いてから、ツアーコンダクターにどちらか結婚式を挙げる場所がないかお願いをし、ロードス島で挙げることができました。

 それでは、当時のエーゲ海クルーズとアテネの旅9日間をお話しします。

 1979年7月15日夕刻スイス航空にてアテネに出発、若い二人はお金もあまりなく、エコノミーシートでした。当時は、ヨーロッパへの直行便はなく、南回りで行くか、アンカレッジで給油し北回りで行くかでした。我々の便は南回りで、パキスタンのカラチで一度給油し、アテネに参りました。当時は今のような大きなクルーズ船はなく、アテネに着いた2日目は、市内観光をし、ソクラテスが入っていた牢屋やパルテノンの神殿の向かい側のフィロパポスの丘などを見学し、アテネの近衛兵と写真を撮りました。近衛兵は、足が長くて、背が高くて、家柄が良く、頭脳明晰で、と条件はとても厳しいようです。夜は、野外劇場で、民族舞踊のナイトツアーに参加、夜の11時スタート半分居眠りでした。

 3日目は、アテネのピレウス港より、3泊4日のエーゲ海クルーズに出発。今のような豪華客船はなく、5000トンのギャラクシー号で300人のお客を乗せ出航、最初の寄港地は、真っ白な家並みがまぶしいミコノス島です。

 今日ではミコノス島は世界でも人気の高い有数の観光地、リゾート地で世界中より観光客が集まる。特に多くのバーやクラブでの豊かで様々なナイトライフが楽しめることで知られています。8月になると多くのディスコがオープンする。特にパラダイス・ビーチのそばの洞窟内に位置するCavo Paradisoは世界的に有名なナイトクラブである。ゲイタウンとしても高名であり、町中を歩いている洒落たゲイのカップルが多く見かけられる。またいくつかのビーチではビーチの半分がゲイ専用とされている。また、白砂の美しいビーチも人気である。多くの有名人もここに別荘を構え、小道での散歩や高価なレストランでの食事をしているところが目撃される。ギリシャでも富裕層が家や別荘を所有する場所柄、土地や建物は大変高価である。過度なリゾート開発を防止するため、伝統的な建築を保存する地域も決められている。

 4日目は、早朝ロードス島に到着、我々はツアーを離れ、結婚式へ。キャデラックが迎えに来て、運転手と通訳と共に教会へ。当時は日本語の通訳はおらず、ギリシャ語と英語の通訳で、こちらも片言の英語で対応した。

 夜は、キャプテンディナーがあり、キャプテンより、「本日日本人のカップルが教会でご結婚されました。みんなでお祝いをしましょう」と紹介され、船内では、陽気なアメリカ人を初め、沢山の人たちの祝福を受けました。

 5日目は、クレタ島に寄港、午前中にイラクリオン市内およびクノッソス宮殿跡を見学。その後船はサントリーニ島に立ち寄り、夜アテネのピレウス港に向けて帰航。

 クレタ島は、ギリシャ共和国南方の地中海に浮かぶ同国最大の島で、面積8,336 km²、人口は62万人です。古代ミノア文明が栄えた土地で、クノッソス宮殿をはじめとする多くの遺跡を持つ。また、温暖な気候や自然景観から地中海の代表的な観光地でもあります。クレタ島の首府はイラクリオンです。

 クノッソス宮殿 は、クレタ島にある青銅時代最大の遺跡。ミノア文明下で、儀式や政治の中心であったと考えられている。宮殿の一辺は160m以上あり、部屋は1200個以上、部分的には4階建ての建造物すらもあったとされる。

 イラクリオンは、ギリシャ・クレタ島北部にある都市で、その周辺地域を含む基礎自治体(ディモス)。エーゲ海(クレタ海)に面した港湾都市である。約14万の人口を擁するクレタ島最大の都市(ギリシャ全土では第4位)で、クレタ地方の首府、イラクリオ県の県都。ミノア文明の代表的な遺跡であるクノッソス宮殿は、市街の約5キロ南東に位置する。

 サントリーニ島は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の島。かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形(サントリーニ・カルデラ)の一部で、その外輪山にあたる。「サントリーニ島」の名はカルデラ全体、すなわち本島を含めた5つの島々(サントリーニ諸島)の総称としても用いられる。カルデラ湾を望む断崖の上に白壁の家々が密集する景観でも知られており、エーゲ海の著名な観光地の一つである。一方で、サントリーニ・カルデラ内では現在も活発な火山活動がある。

サントリーニ島の海辺
サントリーニ島の海辺

6日目は、ピレウス港に着いた後、午前中は自由行動、午後スニオン岬を観光した後、夕食はレストランにて海鮮料理。

 ピレウスは、ギリシャのアッティカ地方にある港湾都市で、アテネの首都圏を構成する。古代にはペイライエウスと呼ばれ、アテナイの外港都市として発展した。アテネ市中心部から南西12km、サロニコス湾の東に位置する。

 スニオン岬は、ギリシアのアッティカ半島の最南端にある岬である。首都アテネの南南東約69kmに位置している。ギリシャ神話の「海の神」であるポセイドンの神殿跡があり、英国詩人バイロンはこの美しさにたくさんの詩を読み自分の名前を柱の一本に刻んだことで知られている。

 7日目は、終日コリントの遺跡めぐりを楽しみました。

 コリントは、ギリシア共和国ペロポネソス地方にある都市で、コリント地峡に位置する港湾都市で、コリンティア県の県都である。古代ギリシアにおいてコリントは、アテナイやスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)のひとつであり、アクロポリス(アクロコリントス)には遺跡が残る。古代ローマ時代には属州アカエアの州都として繁栄し、キリスト教文化においてはパウロ書簡の宛先としても知られている。

 コリントス運河は、アテネの西にある巨大な半島、ペロポネソス半島を「ちぎる」形で建設された運河で、コリントス湾とサロニカ湾を直線で結んでいます。その運河、高いところでは79mも削られていて、両幅がとんでもない絶壁の絶景という運河。実際のところ、スエズ運河とか、パナマ運河のように劇的に船の移動距離が短縮されるわけではないので、結局現在通る船は、おおかた観光船なのだとか。しかも、結構高い通行料が取られる割には、たくさん通っているそうです。

 ミケーネライオンの門は、ミケーネ文明のシンボル的な存在である。この門は、前13世紀の中頃に、城塞へのメイン・ゲートとして造られた。門に近づくほど道の幅が狭くなり、敵からの攻撃を防ぎやすいように設計されている。ここに据え付けられているライオンの彫刻は、高さが3.10メートル、幅が3.60メートル、厚さが0.70メートルあり、ヨーロッパに残る巨石彫刻としては最も古い。二頭のライオンの頭は正面を向いていたに違いないが、現存していない。ライオンが前脚を置いているのは祭壇、祭壇の上には円柱が立っている。円柱の上にも何かがあったはずだが、それは失われている。この図像は恐らく、ミケーネの王家かミケーネ市の紋章だったのではないかと推測されている。

 8日目は、夕刻まで自由行動、夕刻アテネを東京に向け出発。9日目の夜、東京に着く予定でしたが、途中香港で給油に立ち寄ったのですが、機体の不備で、香港に一泊するおまけまでつきました。

 こうやって、せたがやお金の教室に寄稿するに当たり、38年前を思い出しながら、ペンを進めると、とても懐かしく、つい最近の出来事のように感じます。

 皆様には、古臭い昔話をお読み頂いて申し訳ございません。第2回目からは、昨年のクルーズの旅をご紹介します。楽しみにお待ちください。

以  上